クジラの味と部位図鑑|給食の竜田揚げから高級珍味「さえずり」まで

「クジラって、ゴムみたいに硬くて、独特の獣臭さがあるんでしょ?」

もしあなたがそう思って敬遠しているなら、それは非常にもったいない誤解です。おそらくその記憶は、昭和の給食で食べた冷えた竜田揚げや、適切な処理がなされていない古い時代のクジラ体験によるものでしょう。

断言します。現代の流通技術と調理科学によって管理されたクジラは、かつてのイメージとは 完全に別次元の食べ物 です。

かつては日本の食卓を支える「安価なタンパク源」という役割を担っていましたが、今やクジラは 「海のジビエ」 と称され、美食家たちを唸らせる奥深い旨味と繊細な味わいを持つ高級食材へと進化を遂げました。その濃厚な赤身は最上級の牛肉に勝るとも劣らず、良質な脂は驚くほど融点が低く、口の中でサラリと溶けていきます。

今回は、知っているようで知らないクジラの味の正体や、思わず「へぇ!」と言いたくなる部位の名前の由来、そして自宅や居酒屋で最高の一皿に出会うための知識まで、編集長の私が徹底解説します。この記事を読めば、今夜の酒の肴選びが、きっと冒険的で楽しいものになるはずです。

目次

「硬い・臭い」は過去の話|下処理の科学で決まるクジラの美食体験

クジラ料理に対してネガティブなイメージを持つ人が多いのは、冷凍・冷蔵技術が未発達だった時代の記憶や、家庭での下処理の方法が十分に知られていなかったことが主な原因です。

現代、調査捕鯨や商業捕鯨で捕獲されたクジラは、船上で即座に解体・急速冷凍されるため、鮮度は抜群です。私たちが手にするクジラは、実は 驚くほどフレッシュで、濃厚な赤身の旨味 を秘めています。ここでは、そのポテンシャルを最大限に引き出すための「科学」について触れておきましょう。

独特な臭みの原因|血抜きとショウガで変わる「ジビエ」のような風味

クジラは海に住んでいますが、魚ではなく恒温動物である「哺乳類」です。そのため、マグロなどの魚肉よりも、鹿や猪、あるいは馬肉といった「ジビエ(野生鳥獣肉)」に近い性質を持っています。

あの独特の風味の正体は、筋肉中に大量に含まれる鉄分(ミオグロビン)です。クジラは長時間潜水するために、筋肉に酸素を蓄えるミオグロビンを多く持っており、これが濃厚な旨味の源泉となっています。しかし、鮮度が落ちたり、解凍時に血抜きが不十分だったりすると、この鉄分が酸化し、特有の「クセ」や「血生臭さ」に変わってしまうのです。

現在流通している刺身用のクジラ肉であれば、臭みはほとんどありませんが、より美味しく食べるための 「臭み消しの黄金ルール」 を知っておくと、家庭料理のレベルが格段に上がります。

  • 解凍は「低温」でじっくり:常温や流水で急激に解凍すると、旨味成分を含んだ「ドリップ(赤い汁)」が流出し、臭みの原因になります。冷蔵庫で時間をかけて解凍するか、氷水を使った「氷水解凍」で、ドリップを出さないようにするのが鉄則です。
  • ショウガやニンニクの酵素を活用:おろしショウガやニンニク醤油に漬け込むのは、単なる味付けではありません。香味野菜に含まれる酵素や成分が、肉の臭みをマスキングし、風味を豊かにしてくれます。
  • 血抜き(下ごしらえ):加熱調理用に使うブロック肉などは、調理前に 10 〜 15 分ほど薄い塩水や牛乳に漬けてみてください。浸透圧の効果で余分な血が抜け、驚くほど上品な味わいに変化します。

これだけの手間で、クジラは「臭い肉」から「野性味あふれる芳醇な肉」へと劇的に変化します。

クジラの肉がこれほど赤く、味が濃厚なのは「呼吸法」を進化させた証拠でもあります。なぜ彼らはエラ呼吸ではなく肺呼吸を選んだのか?

柔らかく仕上げるコツ|刺身やステーキを最高に楽しむ繊維の切り方

「奮発してクジラのステーキを作ったら、タイヤみたいに硬くなって噛みきれなかった」——そんな悲しい失敗談をよく耳にします。これは肉質のせいではなく、加熱のしすぎと、繊維の方向を見誤っていることが 9 割の原因です。

クジラの赤身肉は、筋肉の繊維が太くしっかりしているのが特徴です。そのため、包丁を入れる際は 繊維の目に逆らい、断ち切るように直角に切る のが絶対の鉄則です。繊維を短く断ち切ることで、口に入れたときの抵抗がなくなり、滑らかな食感が生まれます。

また、調理において 加熱しすぎないこと も極めて重要です。クジラの赤身は、タンパク質が熱凝固しやすく、火を通しすぎると一気に収縮して硬くなります。

  • 刺身・ユッケ:半解凍(ルイベ状)のうちに切ると、繊維をきれいに断ち切れます。口の中で体温で溶けていく食感を楽しみましょう。
  • ステーキ・竜田揚げ:ステーキなら表面をサッと炙る程度の「レア」から「ミディアムレア」がベスト。中心部は余熱で温める程度が、最もジューシーで柔らかい食感を楽しめます。竜田揚げの場合も、揚げすぎず、余熱で火を通す感覚を持つと、パサつかずしっとりと仕上がります。

通な部位の正体|「さえずり」「おばけ」はどこの肉?

居酒屋の短冊メニューで「さえずり」「おばけ」「百尋(ひゃくひろ)」といった不思議な名前を見て、どこの部位か即座に想像できますか? クジラは捨てるところがないと言われるほど全身を利用でき、他の動物にはないユニークな名前の希少部位がたくさんあります。

「さえずり(舌)」や「うねす(腹)」など、クジラには独特な部位がたくさんあります。そもそも、あの巨大な体の構造はどうなっているのでしょうか?

この部位は体のどこ?巨大な体を支える筋肉と脂肪の役割

ここでは、知っておくと一目置かれる、通好みの代表的な部位を紹介しましょう。

希少な舌や尾羽毛|居酒屋で見る不思議な名前の由来と食感

  • さえずり(舌):文字通り、クジラの舌(タン)です。クジラが「さえずる(歌う)」ように声を出すことから、この風流な名がついたと言われています。牛タンとは全く異なり、全体が霜降りのように脂が乗っています。根元の部分は濃厚な脂がとろけるような食感、先端部分は少し筋肉質でコリコリとした食感が楽しめます。高級なおでん種としても知られ、煮込むほどに出汁を吸い、同時にスープにコクを与える「味の王様」です。
  • おばけ(尾羽毛):「幽霊?」と思ってしまいますが、これは尾びれの部分です。黒い皮を薄く剥ぎ、熱湯をかけて冷水にさらし、白く加工したものを「さらしくじら」と呼びますが、尾羽(おば)の毛のようにフワフワと見えることから転じて「おばけ」と呼ばれるようになりました。味そのものよりも食感を楽しむ部位で、シャキシャキ、プリプリとした独特の歯ごたえが特徴です。辛子酢味噌でいただくと、淡白な味わいと食感が引き立ち、最高の酒の肴になります。

畝須(うねす)とベーコン|脂の甘みが際立つ高級部位の楽しみ方

クジラの下顎から腹部にかけてある、アコーディオンのような縦シワの部分を「畝須(うねす)」と呼びます。黒い皮と脂肪層の「畝(うね)」部分と、その内側の赤い肉部分である「須(す)」が層になっています。

この畝須を塩漬けにし、桜のチップなどで燻製にしたものが、おなじみの「鯨ベーコン」です。

薄くスライスされた鯨ベーコンは、そのままで完成された芸術品です。口に入れると、体温で良質な脂がじんわりと溶け出し、クリーミーでナッツのような甘みが口いっぱいに広がります。カリカリに焼く豚のベーコンとは違い、そのままの状態で、脂の口溶けを楽しむ のが最も粋な食べ方です。

少し炙って香ばしさを出すのも美味しいですが、まずは常温に戻し、少しの辛子醤油やポン酢をつけて、日本酒や焼酎の「お湯割り」と合わせてみてください。脂の甘みがアルコールと融合し、至福の時が訪れます。

昭和の給食とクジラ|「竜田揚げ」が現代で高級品になった理由

40 代以上の方にとって、クジラといえば真っ先に思い浮かぶのが「給食の竜田揚げ」ではないでしょうか。独特の生姜醤油の香りと甘辛い味付けは、まさにノスタルジーの象徴です。しかし、現代の 10 代や 20 代の若者にとっては「食べたことがない」「高級料理店で見る食材」という認識が一般的であり、ここに大きな世代間ギャップが存在します。

ノスタルジーの代名詞|なぜかつては安価で現在は高騰しているのか

戦後の食糧難の時代、クジラは牛や豚よりも安価で栄養価の高いタンパク源として、日本の復興を支えました。昭和 30 年代後半から 40 年代にかけては、なんと学校給食の肉類消費量の 約 50 % をクジラが占めていたという記録もあります。当時は「安くて硬い肉」という印象を持っていた子供たちも多かったようです。

しかし、1980 年代の商業捕鯨一時停止などに伴い、供給量は激減。かつての「大衆食」は、希少価値の高い「嗜好品」へと変わりました。

現在、食育の一環として給食でクジラが出る地域もありますが、その味は当時のものとは別物です。現代の子供たちが食べているのは、厳選された柔らかい部位を使い、洗練されたレシピで作られた竜田揚げです。昔を懐かしんで今のクジラ料理を食べると、その 肉質の柔らかさと品質の向上 にきっと驚き、感動することでしょう。

昔から日本人に愛されてきたクジラですが、その価値は食用だけにとどまりません。 海に浮かぶ「龍涎香」という一攫千金のお宝をご存知でしょうか?

大和煮缶詰の活用術|カレーや煮物に深みを出す「隠し味」の魔法

スーパーの缶詰売り場や高級おつまみコーナーで、今でも見かける「鯨の大和煮」。甘辛い生姜醤油でトロトロに煮込まれたこの伝統的な缶詰は、実は忙しい現代人にこそおすすめしたい万能な時短食材です。

そのまま食べるのも良いですが、おすすめは いつものカレーに「大和煮」を汁ごと入れる という裏技です。

作り方は簡単。具材として肉の代わりに大和煮を投入するだけです。大和煮のタレに含まれるクジラの濃厚な旨味と甘み、そして生姜の風味がカレールーに溶け込み、まるで一晩寝かせたようなコクと深みを与えてくれます。お肉も高圧調理でホロホロに柔らかくなっているため、長時間の煮込みも不要です。

さらに、仕上げにインスタントコーヒーをひとつまみ、あるいはチーズをトッピングすれば、専門店顔負けの「極上・和風クジラカレー」が完成します。

地域ごとの食文化比較|和歌山・長崎・千葉で異なる調理法

クジラ食文化は日本全国一律ではありません。捕鯨基地があった地域を中心に、その土地の気候や風土に合わせて独自の発展を遂げてきました。

地域ごとにこれほど愛され、独特の料理が発展してきた背景には、日本人とクジラの長い歴史的関係があります。単なる「食材」を超えた、深い結びつきを見てみましょう。

なぜ日本人はクジラを食べるようになったのか?漢字『鯨』に込められた意味

ここでは、特にクジラ愛が深い主要な 3 つの地域の食べ方を比較してみましょう。旅行で訪れた際には、ぜひ現地の味を探求してみてください。

【比較表】エリア別食べ方|刺身から鍋料理まで多彩な郷土の味

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地域代表的な料理・食べ方特徴と魅力
和歌山県(太地町)竜田揚げ、内臓料理、ハリハリ鍋「古式捕鯨発祥の地」としての誇りがあり、肉だけでなく、心臓や腸など内臓のあらゆる部位を余すことなく食べる文化が根付いています。新鮮な内臓の刺身は現地ならではの特権です。
長崎県(東彼杵など)鯨じゃが、湯かけくじら日本有数の鯨肉消費県。皮や脂身を使った料理が豊富です。「鯨じゃが」は肉じゃがの肉を鯨の皮に変えたもので、煮込むほどに脂の甘い出汁が野菜に染み込み、コク深い味わいになります。
千葉県(南房総)クジラのタレ、しぐれ煮「クジラのタレ」は、手のひら大にスライスした鯨肉を秘伝のタレに漬け込み、天日干しにした保存食(干物)です。軽く炙ってマヨネーズと七味唐辛子をつけて食べると、ビールが止まらなくなる大人の味です。

ハレの日のご馳走|正月や祝いの席で受け継がれる日本の伝統

特に長崎や福岡などの九州北部、あるいは東北の一部地域では、正月のお雑煮や節句の料理にクジラ(特に「皮須(かわす)」や脂身)を使う風習が色濃く残っています。

これは、大きなクジラを食べることで「太く長く生きる」「大きな人間になる」という縁起を担いだり、その圧倒的な生命力を取り込んで一年の健康や豊漁を願ったりする意味が込められています。

クジラ料理は、単なる美味しい「おかず」であるだけでなく、地域の人々の生活や祈り、家族の思い出と深く結びついた「ハレの日」のご馳走 でもあるのです。

まとめ

クジラは、「硬い・臭い」というかつてのネガティブなイメージを完全に脱ぎ捨て、適切な処理と調理法、そして先人たちの知恵によって 極上の美食 へと進化しています。

  • 下処理の重要性: 低温解凍とショウガの活用で、臭みは「芳醇な野性味」へと昇華する。
  • 調理のコツ: 繊維を断ち切り、加熱しすぎない「レア」を意識することで、驚くほど柔らかく仕上がる。
  • 奥深い部位: 「さえずり(舌)」の濃厚な脂や、「おばけ(尾)」の小気味よい食感など、部位ごとに全く異なる楽しみがある。
  • 文化の継承: 給食の懐かしい思い出から、地域ごとの個性豊かな郷土料理まで、日本人の生活に深く根付いたストーリーがある。

もし、街の居酒屋のメニューで「鯨」の文字を見かけたら、迷わず注文してみてください。あるいは、週末に少し奮発して、通販で上質なクジラ肉を取り寄せてみるのも良いでしょう。

そこには、あなたの知らない「美味しさ」と、日本人が紡いできた「食の物語」が待っています。さあ、今夜はとっておきの日本酒を片手に、クジラの奥深い世界をじっくりと味わってみませんか?

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